目が覚めると、空が不吉なオレンジ色をしていた。何を意味するか。
今朝は忙しい。9:30の予約の前に、薬局で薬を受け取らないと。
朝食はプージョランではなく、ホテル近くにあるパン店で購入。
クロワッサン・オ・ショコラも買ってみた。やはり、プージョランには
敵わない。といっても、日本のパン店よりも、はるかに美味しい。
チェックアウトをし、スーツケースと荷物を置かせてもらう。
タクシーを呼んでもらったが、中々来ない。やっと来たタクシーの
運転手は遠回りをしようとしている。これは釘を刺さねば。
「9:30に病院の予約をしてるんですけど。ここからアサス通りまで
あと何分かかるかしら。遅れたら困るのよねぇ・・・」
「あ〜、それなら、あと10分で着きます」
それなら? 言わないと右岸に渡っていたかもしれない。
しかし。着いたのは9:40。予約時間に10分遅れだ。
Rue d’Assasといえば、パリ好きな人は知っている通りだ。
美味しいパティスリーや洒落た店が並ぶ、抑えておきたい界隈だ。
そんな通りのリュクサンブール公園そばに公立病院があったとは。
アメリカンホスピタルの医師から紹介された日通いの病院。
入り口は質素な雰囲気。工事中だ。予約している旨を伝えると
2階の治療受付に行くようにと言われた。ところが。2階へ行くと。
先ずは1階の入り口受付で書類を作成してから来るようにと。
1階に下りたが。受付が見つからない。「真っ直ぐ行って右」のはず。
真っ直ぐ行くと地上階に出てしまう。右に曲がると部屋は無い。
1階と地上階の間を何往復もして、やっと階段手前に入り口受付の
ドアを見つけた。看板か何かがないと分からないドア。
ノックをして、中に入った。しかし。先客がいた。
「今、他の患者さんがいるから、あなた達は外で待ってて!」
ドアの外で待つこと、10分以上。
やっと私達の順番がきた。書類を渡すと、受付の女性は難しい顔。
「ここは公立の病院なので、社会保障番号がないとダメなのよ。
一般の保険を適用したいなら、一旦現金で払ってもらわないと。
念のため問い合わせてみるけど、多分この保険じゃ無理だと思うわ」
やはり。損保会社の提携病院ではないからだろう。
書類を持って治療受付窓口に行ったのは、10:30を過ぎていた。
またまた、待合室で待たされる。フランス映画で見る、公立病院の
風景そのもの。何とも、居心地が悪い。
やっと病室に通された。壁が剥がれて、寂れている。こんな所に
いては気が滅入る。私立と公立の病院の格差を目の当たりにした。
唯一の救いは、白衣を着た若くてハンサムな担当医。それにしても
若すぎる。名札を見ると、研修医と書かれている。やはり。
若くなくてもハンサムでなくてもいい。医師に診てもらいたい。
できれば今日の午後にユーロスターでロンドンに移動したい旨を
伝えると、上司に相談してみるとのこと。しばらく待たされた後
皮膚科院長がやって来た。
“Comme vous voulez” (=お好きなように)
個人の意見を尊重するフランスらしい言葉だ。
「治療も何もせずに、すぐに出て行くこともできますよ。
ただ、それだと私達は治療を施すことができませんけど」
「今日の午後3時過ぎのユーロスターに乗りたいので、1時半迄に
ここを出れば間に合うのですが。それまでに処置が間に合えば
是非お願いします」
ということで、治療が始まった。
すると。入り口受付の女性が。
現金で支払わないといけないとのこと。金額を聞いて驚いた。
日帰り入院で596ユーロ24セント。1桁多い。現金が足りない。
「ATMは少し歩く所にあるから、私も同行するわね」
彼女は受付のドアに鍵をかけ、私と一緒に外に出た。
「それにしても、彼の顔、どうしちゃったの?酷かったけど」
「仕事の疲れと、長旅の疲れと、こちらの水が合わなかったのと。
色々な原因が一度に来ちゃったみたいで・・・」
「でも、あなたフランス語ができてよかったわね。そうじゃないと
こんな所来られないでしょ。言葉が分からない日本人に来られても
私達も困っちゃうし・・・」
「普通なら、旅行者は公立病院には来ないものね」
「お金持ちと旅行者は大抵、私立の病院に行くわね」
「昨日、アメリカンホスピタルに行ったら、ベッドが空いてなくて
こちらの病院を紹介されたの。
たしかフランスでは所得の1%を払えば、公立病院は無料よね。
私立病院だと、きっと高いんでしょう。
でも、公立病院で596ユーロって、高すぎ。コートが買えたのに・・・」
「ホント、高いわよねぇ。社会保障がないと大変よ。
傷害保険が適用されなくても、あと3ヶ月待っていれば国から
医療補助の書類が来るから、大丈夫よ。私が手配しておくわね」
最初はきつかった彼女も、段々と友達のように接してくれた。
病室に戻ると、誰もいない。もぬけの殻。夫も医師も、いない。
「あら?いないけど。この病室よね。まさか、あなたを置いて
帰っちゃったのかしら?」
「それは、ありえないと思うけど・・・」
通りすがりの看護士に聞くと、「浴室に行ったわよ」との返事が。
たしかに、salle de bain と聞こえた。なぜ、お風呂場に?
いた。白いお湯に浸かって固まっている。何をしているのだろう?
「よく分からないけど、風呂に入れって言われた。
このお湯で顔洗ってもいいのかな。いつまで入ってるんだろう・・・」
浴室の隣の医師の控え室に行って聞いてみた。
「顔?もちろん洗っていいですよ。ちゃんと浸かっているかしら?」
夫はもう出たそうだった。棚に置いてあるバスローブを着ると
看護師がやって来た。浴槽の栓は抜いてしまった後だ。
「あら、もう出ちゃったの?ずいぶん早かったわねぇ。
もう少し長く入っていて欲しかったんだけど。しょうがないわね。」
どうやら、白いお湯の正体は薬だったようだ。
おそらく医師から説明があったはずだ。夫には分からなかったか。
結局、前日にアメリカンホスピタルで採取した血液の検査結果では
原因は分からず。とりあえずの応急処置ということで、体中に
軟膏状の薬を塗られる。これで肌を空気から遮断するのだ。
医師によると、2〜3日で症状はかなり改善されるはずだとのこと。
中年女性の看護士に、「さぁ、脱いで!」と言われ、スッポンポンの
夫。体が大きいので、塗り甲斐がある。
「この人、アトピーね。皮膚を見れば分かるわよ。
フランスにもいるんだけど、こういう人は皮膚が弱いから色々と
感染しやすいから気をつけないと。日本はどうか分からないけど
こっちには土の中や空気中に微生物がいるから、抵抗力が弱い時に感染しやすくなるのよ」
「夫はきれい好きで几帳面だから、そこら辺に落ちているゴミも
拾って捨てたりしちゃうんです。特に旅行中は誰が落としたか
分からない物を拾わないようにって、注意してるんですけどね」
「あらぁ、ダメよぉ。細菌や微生物はあちこちに存在するんだから。
それに、熱いお風呂は乾燥するからダメよ。特に日本人は熱い
お風呂に入るのが好きでしょ。肌には絶対に悪いんだから!」
「そうですよね!私も毎日、口を酸っぱくして言ってるのに。
なのに、シャワーの温度を44度に設定し直すんですよ。まったく」
「よく火傷しないね。でも、まぁ、どこの国も、男の人ってのは
頑固だからねぇ・・・」
すっかり井戸端会議に。すると、会話の雰囲気を察した夫。
「今、何て言ってたか、分かった。風呂の温度の話だろ」
さすが。鋭い。悪口が通じてしまうのは、世界共通のようだ。
薬を塗ってもらい、処置は終了。医師の控え室にお礼の挨拶に行き
処方箋を書いてもらう。1日1本のチューブを塗る?多すぎないか。
すると。先ほどの看護士が慌ててやって来た。
「この人は体が大きいし、太ってるから、通常の量じゃ足りないわ。
1.5倍出してちょうどいいくらいよ」
細身でハンサムな若い研修医はクスッと笑い、処方箋の数字を
書き直した。10日間で合計15本のDiprosoneとは。かなり大量。
薬局巡りをしないと、1店だけでは事足りないかもしれない。
(Diprosoneを帰国後に調べてみた。かなり強いステロイド軟こう
だった。使用は短期限定でないと、肝臓に響く)
外に出ると、夫は顔が痛くないという。軟膏を塗ってテカテカだが。
空気に触れても痛くなく、外を歩けるのはいいことだ。
タクシーを呼んでもらったのが、13:00。本当はボン・マルシェで
買い物をしたい。あまりゆっくり見て回る時間がないので諦めた。
旅行前に手配した13 :04発ユーロスターの切符は無効になった。
ヴァージンアトランティックのキャンペーンで当たったチケットが
生かせる。譲って欲しい人がいなくて良かった。
荷物が置いてあるホテルに直行した。病院で処置を済ませて予定
通りにロンドンに向かうと話すと、心配していたレセプションの
女性も喜んでくれた。彼女はたしか、予約時に色々なリクエストや
レストランの予約を担当してくれた女性だ。
まずは今晩予約していたホテルを取り消しに行き、薬局をハシゴ。
3軒回ったが、15本のうち、5本しか買えなかった。
次はカンタンでチーズを買い、スーパーで細々としたお土産を買う。
北駅までのタクシーを呼んでもらったが、配車は10分後とのこと。
夫は飲み物を買いにスーパーへ。スプライトが飲みたいらしい。
タクシーが来たが。夫がまだ。荷物を積んでいると、戻ってきた。
セーヌ川を渡り、パリの街並みとはお別れだ。しかし。いつもの
道とは違う。込んでいない細い道を通っている様子。渋滞を迂回
しているのだろうか。ユーロスターのチェックインまであと10分。
「もうすぐ、北駅かしら?」
「全然!」
運転手から、 pas de tout! などという返事は想定外だった。焦る。
「私達、15:19発のユーロスターに乗るんですけど。チェックインに
間に合わないと、困ることになるわ」
「えっ?それを早く言ってくれないと。チェックインは30分前だ。
北駅周辺は、いつも渋滞しているんだよ。さっきも通ったから
分かるけど、他の車に乗っていたら、今も渋滞から抜けてないよ。
それを知って渋滞を迂回して運転してるけど、急いでるなら先に
言って欲しかったね。通常なら、北駅まで1時間かかるんだ」
「え〜?!でも、私達はあなたみたいな道を良く知ってるいい
運転手に当たってラッキーだったわ。もし電車の時間に間に合えば
の話だけど」
「頑張ってみるよ」
タクシーは細い路地を飛ばした。運転手は道を熟知している。
北駅に着いたのは、15:00。ロンドンなら自動改札でアウトだが。
ここは、パリ。幸い、私達が持っていたチケットは紙製のもの。
自動改札ではなく、係員のいる改札を通った。間に合った。
英国入国審査もいつになくスムース。新しいパスポートに万歳!
ニース入りの時は飛行機の絵が描かれた入国スタンプだった。
北駅からはユーロスターの出国なので、電車の絵の出国スタンプ。
Paulでサンドイッチとパンを買い、車内で食べた。
夫は大口を開けても痛くないらしい。良かった。処置が効いた。
「今回の旅行は、いつもよりフランス語をたくさん喋れて
よかったんじゃない?」
何とまぁ、暢気なこと。こっちはどれだけ心配していたことか。
「こんなことでフランス語を使いたくなかったけどね・・・」
17 :00頃にロンドンに到着し、タクシーでサウス・ケンジントンの
ホテルに向かう。テムズ川を渡り、ビッグベンと国会議事堂を横に
バッキンガム宮殿前を抜け、ハイドパーク・コーナーへ。
ハロッズとV&Aと自然史博物館の前を通ったら、もうすぐだが。
「たしか、ホテルはパークサイドですよね。右折ができないので
グロスター・ロード駅の所でUターンします」
よし。ロンドンのタクシー運転手は道をよく分かっている。
ロンドンでは定宿にしているアパートメントホテル。落ち着く。
パリの狭いホテルに比べると、かなり広い。
今日は疲れたので、近場を散歩して、部屋で夕食にしよう。
夫はフィッシュ&チップスを食べてみたいという。
自然史博物館、V&A、ハロッズを過ぎ、ハーヴェイ・ニコルズへ。
比較的遅い時間まで営業しているので、便利だ。フードフロアは
最上階の5階にある。Yo!Shushiに興味がありげな夫。ロンドンで
回転寿司は話の種になるとは思うが。美味しいのだろうか。懐疑的。
お土産候補のビスケットの味見用を買い、エスカレーターで下ると。
「明日の昼は、Yo!Sushiに行きたい」
私はPret a manger のサンドイッチを楽しみにしていたのに。
そうだ。両方少しずつ食べよう。
スローン・ストリートを下り、キングスロードを西へ。途中で曲がり
グロスター・ロードへ。かなり歩いた。夫は疲れたらしい。
駅の近くで、タラのフィッシュ&チップスを買い、Waitroseで
お惣菜とサンドイッチと水その他を購入し、ホテルへ。
念願のフィッシュ&チップスを食べた夫が、不満そうに一言。
「大味だな」
「フィッシュ&チップスはイギリスのジャンクフードでしょ。
一体、何を期待していたの?」
クレイフィッシュとクレソンのサンドイッチもお気に召さず。
マヨネーズが違うらしい。日本の味がスタンダードではないのだ。
何はともあれ、予定通りにロンドンに移動できて良かった。
ロンドンのホテルは前払いしていたため、3日前迄にキャンセルを
しないと返金されない。パリのホテル追加泊分とユーロスターの
切符購入分を加えると、かなりの金額になったはずだ。
公立病院で現金での出費は痛かったが。手当てが効いて良かった。
損保会社に電話すると、帰国後に保険料の請求が出来るという。
今思えば、アメリカンホスピタルのベッドが空いていなかったのが
大いに幸いした。
夜。お風呂に入ろうとすると。
「栓がなかったから、シャワーにした」
え〜っ!こんな疲れた日に湯船に浸かれなければ、ホテルに泊まる
意味がない。フロントに強気の電話。しかし、口調は丁寧に。
「お風呂の栓が見当たらないので、持ってきて下さる?」
「私には分かりません」
「それなら、他の部屋に変えて下さる?」
「今夜は満室です」
「湯船に浸かりたいんですけど、私はどうすればいいのかしら?」
「・・・。今、ハウスキーピングの担当がいないので、探してきます。
10分後にまたフロントに電話して下さい」
10分経過。
「お風呂の栓、あったかしら?」
「見つかりました。フロントに取りに来てください」
「届けてくれないの?」
「今、立て込んでいるもので・・・」
しょうがない。フロントに行くと。チェックインの最中だった。
「ありましたよ。はい、これです!」
得意げに渡されても・・・。一応、笑顔でありがとうと言っておいた。
ゆっくり湯船に浸かり、やれやれな1日が終わった。
やっと明日2人でロンドンの街を見て回れる。ただ、夫の会社用の
お土産がまだだ。旅行はお土産を買い終わらないと落ち着かない。